UWFユーダブリューエフインターナショナル

1991年に髙田延彦により設立されたプロレス団体。 UWF解散により派生したプロレス団体であるが、純粋なプロレスというよりは格闘技色の強いファイトスタイルが特徴であり、主な所属選手には髙田延彦、山崎一夫、安生洋二、垣原賢人、高山善廣、桜庭和志、田村潔司らが名を連ねた。 「プロレスこそ最強の格闘技」というキャッチフレーズを掲げ、プロレスラーである髙田延彦が様々な競技のビッグネームと異種格闘技戦を行っていくことで注目を集めた。中でも大相撲元横綱の北尾光司との「格闘技世界一決定戦」では、髙田の渾身のハイキックが北尾の顔面に見事に決まり、衝撃的なKO決着となったことで一気に注目を集めた。 1995年には新日本プロレスとの団体同士のプライドをかけた全面対抗戦に打って出る。UWFインターナショナルはプロレス団体ではあるものの格闘技色の強いファイトスタイルであったため、この団体対抗戦は「プロレスvs格闘技」の代理戦争の意味合いも含まれていた。メインイベントの大将戦で激突した武藤敬司と髙田延彦のIWGPヘビー級選手権試合では、会場の東京ドームが最高潮の熱気に包まれた。この試合に髙田が敗れたことで、UWFインターナショナルは団体としての格を下げることになるが、翌年の東京ドーム大会のメインで再び武藤と対戦した髙田が見事にリベンジを果たし、団体としてのプライドを顕示することに成功した。 新日本プロレスとの団体対抗戦を行った1995年あたりから、スポンサーなどの大きな後ろ盾が無かったUWFインターナショナルの運営状況は、徐々に困難なものになっていった。また、団体として目指すべき方向性もブレ始め、プロレスへと傾倒するようなマッチメイクや試合内容にファンや選手側からも不満が噴出し、主要選手の退団も団体運営の悪化に拍車をかけた。中でも次期エースと呼び声の高かった田村潔司の退団は大きな損失となった。 団体運営の悪い流れを変えられないまま、UWFインターナショナルは1996年に解散となった。

▲上に戻る

inserted by FC2 system