ハヤブサ

ハヤブサ
出身
熊本
生誕
1968.11.29
身長
183cm
体重
85kg

不死鳥の異名を持つ覆面レスラー。

大学時代に学生プロレスに在籍した経験を持ち、プロレスのインディー団体「FMW」の入団テストで大仁田厚に見いだされる。

1991年、FMWで本名の江崎英治(えざきえいじ)としてデビュー。師匠である大仁田厚の付き人も務める。

1994年、メキシコ遠征で「ルチャリブレ」を体得し、マスクマン「ハヤブサ」として日本に帰国。帰国直後に、新日本プロレス主催の団体の枠を越えたジュニアヘビー級レスラーによるトーナメント大会「スーパーJカップ」に参戦。獣神サンダー・ライガーとのシングルマッチで高難度の飛び技であるシューティングスタープレスを決めるなど、華麗な飛び技を披露してインパクトを残し、覆面レスラーとして鮮烈な再デビューを飾った。この試合をきっかけにハヤブサは一気にブレイクしていった。

1995年5月5日に川崎球場で行われたFMWの興行で、師匠である大仁田厚の引退試合の対戦相手に抜擢される。「有刺鉄線電流爆破デスマッチ」として行われたこの試合では、ハヤブサ自身初となる電流爆破デスマッチでありながら、鉄柵の最上段からムーンサルトプレスを敢行するなど、大仁田の期待に最大級で応えた。敗れはしたものの計5発のパワーボムを受けきり、大仁田の引退試合に華を添えた。ハヤブサはその後、大仁田の抜けた新生FMWのエースとして団体を背負う立場となる。

1997年にはジャイアント馬場率いる全日本プロレスに参戦。当時の全日本プロレスにおいてインディー団体のレスラーが参戦することは極めて異例であり、大仁田から馬場への口添えもあって参戦が実現した。ジュニアヘビー級でありながらヘビー級レスラーに対して飛び技を駆使して互角に渡り歩き、新崎人生とのタッグでは第65代アジアタッグ王座に就いた。

1999年6月、一時的に素顔に戻り「H(エイチ)」として活動するが、翌年にハヤブサとしての活動に復帰する。

2001年10月22日の後楽園ホール大会で、セカンドロープの反動を利用しての後方宙返りの際、ロープを足で踏ん張るタイミングを誤り、マットに脳天から落下してしまう。この技の失敗により脳天を強打したことで頸椎損傷という重傷を負うことになる。全身不随となり車いす生活を余儀なくされるが、プロレス復帰を目指してリハビリに励んだ結果、杖をついて歩けるまでに回復する。

プロレスラー復帰宣言をしてリハビリに励む毎日であったが、2016年3月3日にくも膜下出血によりこの世を去った。享年47。

ハヤブサは飛び技を主体とした魅せるファイトスタイルにこだわり、難易度の高い飛び技をいとも簡単にくり出すことに加え、しなやかでバネのある華麗なフォームには目を見張るものがあった。中でも最高難易度の「フェニックススプラッシュ」は、その難易度もさることながら、不死鳥の名にふさわしい美しい技のフォームで観客を魅了した。

晩年には映画出演や、作詞作曲を手がけるシンガーソングライターとしての歌手活動、舞台出演や講演会に加え、執筆やイラスト制作など幅広い活動を精力的にこなしていった。

2017年5月5日の川崎球場で「ハヤブサ復帰」のプランがあったことが、後のFMWによる会見で判明する。大仁田厚の引退試合の舞台となった場所であり、ハヤブサにとって転機となった思い出の地でもある。あの時と同じ日、同じ場所でのハヤブサ復帰計画であったが、再びその勇姿を見ることはついに叶わなかった。

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